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島根

【隠岐神社】800年の歴史が残る後鳥羽上皇ゆかりの地

2023.04.07

【隠岐神社】800年の歴史が残る後鳥羽上皇ゆかりの地

島根県本土から超高速船に乗って約1時間、隠岐諸島に浮かぶ海士町(あまちょう)の離島「中ノ島」。承久の乱で敗北した後鳥羽上皇が島流しとして訪れ、その後の生涯を過ごした地として知られています。そんな中ノ島には後鳥羽上皇にゆかりのある地が今も残されています。今回は、中ノ島で後鳥羽上皇が仮御所として生涯を過ごした「行在所跡」や「後鳥羽天皇御火葬塚」、後鳥羽天皇を主祭神とする「隠岐神社」の見どころや行き方についてご紹介します。

#島根県 離島 #隠岐 観光 #中ノ島 観光 #観光スポット
撮影:りとふる編集部



後鳥羽上皇が生涯を過ごした「中ノ島」とは

島根半島の北に浮かぶ隠岐諸島(おきしょとう)は、本州に近い中ノ島、西ノ島、知夫里島(ちぶりじま)の島前(どうぜん)と呼ばれる3つと、島後と呼ばれる隠岐の島町(おきのしまちょう)がある大きな島、計4つの有人島とその他の島々で構成されています。隠岐諸島には多くの神社仏閣があり、隠岐独自の神様を祀った隠岐造と呼ばれる独特な建築方法など、今も地域に根付いた文化が残されています。

中ノ島_隠岐神社_230403

京から遠く離れた隠岐諸島は流刑の地として選ばれることもあり、承久の乱で敗北した後鳥羽上皇が島流しされて訪れたのが中ノ島です。今でこそ超高速船で約1時間、フェリーで約2時間ほどの船旅で訪れることができますが、当時は荒波を越えてかなりの時間をかけて渡らなければならず、その航海の厳しさを想像するのは容易です。しかし、かつては天皇など身分の高い人のみが島流しされていたこともあり、あまり邪険に扱うこともできず、政権に関与できないほど京から離れつつも身の安全や食事などはある程度担保される豊かな土地が求められたと言います。

中ノ島_宇受賀命神社前_230403

その点では隠岐諸島の中でも平地が多い中ノ島は豊かな水があって米も穫れ、海に囲まれているため魚も獲れるなど、食で飢える心配もありません。旧石器時代からの歴史が残る島であることから、遠流の地として選ばれたのではないかと言われています。すぐ近くに広がる島前の島々にも土地の違いがあるため、3島それぞれで異なる見どころがあるのも隠岐諸島のおもしろさの1つです。

後鳥羽上皇が隠岐で過ごした「行在所跡」と「御火葬塚」

中ノ島_綱掛けの松②_230403

船が到着する菱浦港から車で約10分の場所にある「隠岐神社」の周辺には、後鳥羽上皇ゆかりの地として後鳥羽上皇に関連するスポットがいくつかあります。
まずは、隠岐神社の鳥居を通り過ぎ、その奥にある「後鳥羽天皇御火葬塚」へ向かうと、御陵の入口には「綱掛けの松」と呼ばれる大きな松の切株が残されています。かつてこの松の前には海が広がり、松の木に船の網を掛けていたのではないかと言われています。

中ノ島_後鳥羽天皇御火葬塚_230403

また、現在は宮内庁の管轄地となり、それを示す看板が立てられています。両脇を立派な木々に囲まれた参道を進んで行くと、左手に「後鳥羽天皇御火葬塚」が現れます。

中ノ島_後鳥羽天皇御火葬塚_220907

1221年に隠岐に流され19年もの月日を中ノ島で過ごした後鳥羽上皇は、1240年に享年60歳で崩御しました。火葬された遺骨を瓶に入れ、京都とこの御火葬塚付近の山陵に納めていましたが、明治6年に大阪の水無瀬神宮に合祀されました。今は厳重に2つの門扉が閉じられ、正面鳥居の奥にある塀のさらに奥に遺骨が収められていた場所があると言われています。宮内庁がこれだけ厳重に管理していることからも、流刑にあったとは言え後鳥羽上皇が敬われていることが伺えます。また、よく見ると塀に付けられた門扉には菊の紋章が付けられています。天皇家の紋章が菊の御紋とされているのは有名ですが、その起源は後鳥羽上皇が菊の花をよく好み、自ら造った刀にも菊を記していたことから始まりました。

多彩な後鳥羽上皇が過ごした「行在所跡」

中ノ島_後鳥羽天皇御火葬塚②_230403

御火葬塚から階段を少し上がっていくと、木々が茂る広場の奥にかつて後鳥羽上皇が仮御所として過ごしていた源福寺の跡地が残されています。

中ノ島_後鳥羽天皇行在所跡_230403

この塀で囲われた内側が実際に後鳥羽上皇が過ごした源福寺の跡です。草が茂って目立ちませんが、中央には「後鳥羽院天皇行在所跡」と記された石碑が建てられています。

中ノ島_後鳥羽天皇行在所跡②_230403

京に帰る願いも叶わず、19年もの年月を中ノ島で過ごした後鳥羽上皇。多くの歌を詠むことで気持ちを表現しながら過ごし、今も数多くの歌が残されています。後鳥羽上皇が命じて『新古今和歌集』を作らせたことは有名ですが、隠岐に流刑後もこの地でその編集を続け、『隠岐本新古今和歌集』や『遠島御百首』など多くの歌を詠み和歌集にまとめました。今では『遠島御百首』をかるたにして、かるた大会も行われています。また、行在所跡周辺には後鳥羽上皇が詠んだ歌が記された石碑がいくつも建てられています。

中ノ島_後鳥羽天皇行在所跡・勝田池_230403

当時から水が沸き続けていると言い伝えられている「勝田池」の脇にも、ここで詠んだ歌の石碑が建てられています。



後鳥羽天皇を主祭神とする「隠岐神社」

中ノ島_隠岐神社_220907

2021年は後鳥羽上皇が中ノ島に遷ってから800年。「隠岐神社」は後鳥羽上皇の崩御700年を記念して、昭和14年(1939年)に建てられた主祭神を後鳥羽天皇(上皇)とする比較的新しい神社です。

中ノ島_隠岐神社_220907

行在所跡から裏道を通り、直接隣の敷地にある隠岐神社に行くことができます。隠岐神社は四季折々の景色を楽しめることでも知られ、春の桜から新緑、アジサイ、紅葉、冬の雪景色と季節ごとに違った光景を見ることができます。

中ノ島_隠岐神社②_230403

まずは向かって右側にある手水舎で清めた後、階段を上がって神門をくぐります。神門に辿り着くと、目の前にきれいに整えられた参道と拝殿が広がり、圧巻の光景です。広い境内に整然と建てられている拝殿が美しく、行在所跡とは真逆の印象を受けました。

中ノ島_隠岐神社⑤_230403

拝殿の賽銭箱のすぐ隣には、おみくじやだるまみくじ、参拝者名簿などもありました。今では隠岐神社、そして後鳥羽上皇のことも含め、島の方々は親しみを込めて「ごとばんさん」と呼ぶそうです。

中ノ島_隠岐神社・神札授与所_230403

御朱印は拝殿から見て右側にある神札授与所でいただくことができます。後鳥羽上皇は和歌、剣術、音楽、弓術などかなり多彩で文武両道だったと言われ、隠岐神社では学業、交通安全、縁結び、開運などの御利益をいただくことができます。

また、隠岐神社では周囲が暗くなってから、夜に御祈祷を受けることができる「夜の隠岐神社まいり」を体験できます。全国的にも夜に神社を参拝できること自体がめずらしいですが、優しい灯りに包まれながら神主さんから御祈祷を受け、お守りも授与していただけます。完全事前予約制なので、中ノ島を訪れる方は旅程に入れてみてはいかがでしょうか。
詳細はこちら(隠岐ジオパーク推進機構ホームページ)

中ノ島_隠岐神社・狛犬_230403

こちらの狛犬は加工しやすい来待石(きまちいし)と呼ばれる島根県松江市宍道町の来待地区で採れる岩を使って作られています。古くから隠岐でははるばる本土から船で来待石を運んで、神社や家屋の一部として加工していたそうです。また、こちらの狛犬はよく見ると子どもの狛犬が寄り添っているので、ぜひ実際に訪れて探してみてくださいね。

中ノ島_隠岐神社・土俵_230403

隠岐諸島には神事としての古典相撲の文化があり、神社に土俵が設けられているのもめずらしくありません。こちらの土俵では毎年、子どもが出場するちびっこ相撲大会が行われています。

中ノ島_隠岐神社③_230403

こちらは第1の鳥居です。道路沿いに建てられているので、港から車で訪れる方もすぐに見つけられるのではないでしょうか。鳥居の周囲から桜並木が広がっているので、春にはお花見を楽しむ方々も訪れるそうですよ。また、鳥居から神社に向かう際、右側にはかつて後鳥羽上皇が過ごしていた行在所跡から移された源福寺が見えます。

中ノ島_隠岐神社・ステージ_230403

鳥居と網掛けの松の間にあたる隠岐神社外苑には、広場とステージが設けられています。

こちらでは通称チェリーカップという名の綱引き大会が行われ、中ノ島だけではなく隠岐諸島の島々から参加チームが集まり、大いに盛り上がるそうですよ。

「海士町後鳥羽院資料館」とお土産屋「つなかけ」

隠岐神社の道の向かいには「海士町後鳥羽院資料館」とお土産屋の「つなかけ」が並んでいます。

中ノ島_白浪_220907

こちらでは後鳥羽上皇に献上されたとも言われる隠岐銘菓「白浪」が販売され、海士町で有名な後鳥羽上皇ゆかりのお菓子は今も完全手作業で製造されているそうです。白浪と名付けられた由縁とも言える外側の波打つシャリシャリとした食感の皮に優しい甘さのあんが詰められたどこか懐かしい、お茶とよく合う味のお菓子です。海士町を訪れた際は、ぜひ食べてみてはいかがでしょうか。



隠岐神社への行き方と駐車場について

中ノ島_バス停隠岐神社前_230403

隠岐神社は中ノ島の玄関口である菱浦港から車で約10分弱の距離に位置します。隠岐神社の駐車場は海士町後鳥羽院資料館とお土産屋「つなかけ」の前に共用で30台ほど車を停められる広めのスペースが整備されています。
また、隠岐神社の目の前にはバス停があるので、菱浦港からバスで訪れることもできます。バス停は海士町で伝わる歌と踊りで楽しむ民謡「キンニャモニャ」で使われるしゃもじがモチーフとされています。

菱浦港~隠岐神社…車で約10分、バスで約15分

隠岐神社

隠岐郡海士町海士1784

公式ホームページ

 

レンタサイクルで中ノ島を巡る

中ノ島_菱浦港・観光案内所_230403

菱浦港ターミナル内にある海士町観光協会(観光案内所)では、レンタサイクルの貸し出しをしています。通常の自転車はもちろん、電動自転車E-BIKEの貸し出しも行っていて、電動自転車だと約20分ほどで隠岐神社まで行くことができるので、サイクリング初心者の方でも楽しむことができます。車の運転が苦手な方でも自由に観光しやすいのでおすすめです。

菱浦港~隠岐神社…E-BIKE(電動自転車)で約20分
E-BIKEについての詳細はこちら

最後に

隠岐諸島の海士町・中ノ島で、今も“ごとばんさん”と親しまれている後鳥羽上皇ゆかりの地についてご紹介しました。隠岐神社は観光地として有名ですが、せっかく中ノ島を訪れるのであれば、隣の御火葬塚や行在所跡にも立ち寄るのがおすすめです。ぜひゆっくりと隠岐神社の周辺を巡りながら思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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