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島根

1000年以上の歴史を誇る隠岐島後の水若酢神社とは?

2022.09.13

1000年以上の歴史を誇る隠岐島後の水若酢神社とは?

島根県隠岐諸島には今でも100近くの神社が残されていて、かつては300もの神社があったと言われています。島後にも昔から多くの神社がありますが、中でも1番格式が高いとされる隠岐国一宮が「水若酢神社(みずわかすじんじゃ)」です。隠岐でしか見ることができない隠岐独自の神社の建築様式や、今も守り続けられている伝統のお祭りや人情相撲と称される島ならではの古典相撲の文化など、神社を参拝する中で隠岐の暮らしや伝統も感じることができました。今回は、1000年以上の歴史を誇る「水若酢神社」の見どころや行き方についてご紹介します。

#島根県 離島 #隠岐の島町 #隠岐 観光スポット #島後 観光スポット
撮影:りとふる編集部



隠岐国一宮の「水若酢神社」

島後_水若酢神社_220907

隠岐国一宮である「水若酢(みずわかす)神社」。一宮とは、その地域の中で最も社格が高いとされる神社のことで、つまり隠岐国の中で1番格式が高い神社ということです。創建については記録がなく詳細が分かっていませんが、927年にまとめられた延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)という当時の神社の格付けリストのようなものには現在の出雲大社と同じ「明神大社」として記載されていることから、当時からすでにその格式の高さを認められていた由緒正しき1000年以上の歴史がある神社だということが分かります。

島後_水若酢神社_220907

島根県には名神大社として記されている神社が出雲大社を含め全部で6社ありますが、そのうちの4社が隠岐諸島にあるというので驚きます。そこからも、古くから隠岐が京でも認知され重要な位置付けがされていたのではないかと想像することができますね。隠岐諸島が“神の島”と称されるのも思わず納得してしまいます。かつて「水若酢神社」は今ある神社の場所よりももっと北側に建てられていましたが、川の氾濫などの影響で今の場所に移ったそうです。

隠岐諸島・島後_水田_220913

島後は山が多く、山を源流に川も多く流れているので水が豊富です。昔から田畑が多く食べ物には困らなかったそうです。昔と変わらず今も田んぼは多く残され、食用のお米の他おいしい日本酒も作られています。隠岐諸島と聞くと島流しなどを連想する方も多いかもしれませんが、実はその島流しとも関連しています。

隠岐諸島・島後_水若酢神社鳥居_220913

当時の島流しは、貴族など身分の高い人々を遠くへ送るためでした。いくら島流しになったとはいえ、高貴な身分の人を存外に扱うとバチが当たると恐れられ、遠流の地でも生活を保障する必要があったそうです。その点で隠岐は京から物理的に離れているものの、水が豊富で米も野菜も採れる環境だったため食事面でも経済的にも比較的生活が豊かで、古くから京でも知られていたことから遠流の地に選ばれたと言われています。島流しの地と聞くとマイナスイメージが強いかもしれないですが、当時から天皇ほどの高貴な人をもてなすポテンシャルが隠岐にあった証でもあるのです。

隠岐伝統の神への奉納相撲

隠岐諸島・島後_水若酢神社・土俵_220913

2つの鳥居をくぐって参道を進むと、大きく立派な土俵があります。隠岐では土俵を持つ神社はめずらしくなく、神への奉納相撲として「水若酢神社」では20年に1度の遷宮相撲、神事や地域のお祝い事の際に夜通し相撲を取る古典相撲の文化が今も残されています。古典相撲として大人が相撲を取るのは今では島後のみの文化で、中でも「水若酢神社」での相撲は特に格式が高く、とても盛り上がるそうですよ。

隠岐諸島・島後_水若酢神社・土俵_220913

各地区の代表が神事の相撲に参加し、勝った地区は土俵の東西南北それぞれにいる神を連れて帰ることができるそうです。そんな古典相撲の大きな特徴として、同じ人と2回勝負をして必ず1勝1敗にすることが挙げられます。狭い島内での争いを避け、協力して生きていくような意味合いもあるので人情相撲とも呼ばれているそうです。隠岐の方々は、今もそんな島民性を感じる部分があると笑顔で話していました。他にも「水若酢神社」では隔年で5月3日に開催される島後三大祭りの1つの水若酢神社祭礼風流が有名で、山車(だし)を引いたり流鏑馬(やぶさめ)などの神事が行われます。

隠岐諸島・島後_水若酢神社・手水舎_220913

土俵を過ぎた先には感染症対策なのか柄杓が外されていましたが、亀の彫刻が飾られている手水舎があります。その後、ボリューム感のある紙垂(しで)の付けられた随神門をくぐると拝殿、そして本殿があります。

隠岐諸島・島後_水若酢神社・拝殿_220913

「水若酢神社」は隠岐諸島以外の地域では見ることができない隠岐造と呼ばれるめずらしい建築様式で作られています。主祭神・水若酢命(みずわかすのみこと)は同じ島後にある「玉若酢命(たまわかすのみこと・たまわかすみこと)神社」の主祭神・玉若酢命と兄弟神だと言われていて、どちらも国指定重要文化財になっています。

玉若酢命神社や隠岐造についてはこちらをチェック♪

 

隠岐諸島・島後_水若酢神社・ダルマみくじ_220913

こちらの拝殿には、かわいらしいダルマみくじがありました。1体ずつ表情が異なっていてとてもかわいらしく、隠岐のお土産にも良いですね。このダルマの中に紙のおみくじが入っていました。

隠岐諸島・島後_水若酢神社・おみくじ_220913

奥には金色のおみくじを引ける運気上昇みくじや、他の神社では色違いのダルマみくじもあったので、記念に気に入ったものを引いてみるのも良いのではないでしょうか。

隠岐諸島・島後_玉若酢命神社・水若酢神社御朱印_220913

今回は御朱印をいただく際に、運良く神職の方から神社や隠岐についてお話を伺うことができました。「水若酢神社」は古くから国防の第一線となる場所でもあり、紋章には菊が掲げられています。何か特定のご利益だけに限定するのではなく、島の総合的な神様として親しまれ信仰されているそうです。

隠岐諸島・島後_隠岐郷土館_220913

また、境内には隠岐地域最大だと思われる「水若酢神社古墳群」、すぐ隣接して「隠岐郷土館」などもあるので、ぜひ合わせて訪れてみてください。「隠岐郷土館」は神社のすぐ脇にあるのが不思議なくらいおしゃれで洋風な白亜の建物でした。

隠岐諸島・島後_郷土館丸木舟_220913

隠岐は黒曜石が採れる全国的にも貴重な場所の1つで、海で離れた中国山地の縄文遺跡からも出土していることから、当時からすでに遠く海で離れた本土とのやり取りがあった証拠とされています。今のような船がない時代にどのようにして行き来していたのか、それを調査するために昭和後期に実際に丸太舟を掘って実験した際の船が飾られています。

隠岐諸島・島後の神社について

隠岐諸島・島後_220913

島根半島沖に浮かぶ隠岐(おき)諸島は、4つの有人島と約180もの無人島の島々からなります。島後水道を境に京から見て奥に位置する隠岐の島町を島後(どうご)と呼びます。現存する日本最古の歴史書とされる古事記の国生み神話の中で、淡路島、四国に次いで隠岐国は3番目に生まれた島として隠伎之三子島(おきのみつごしま)と記載されているとても歴史深い島です。
今も神事などの文化が島民を中心に行われているなど、神社が地域に根付いている様子も見受けられます。島根県の出雲大社など全国の神社からヒントを得て、隠岐でしか見ることのできない隠岐造と言われる建築様式で建てられた神社や隠岐独自の神を祀るなど、隠岐ならではの文化が今でも残されています。

水若酢神社の由来

前述したように、島後はかつてから水の豊かな島でした。その一宮である「水若酢神社(みずわかすじんじゃ)」の主祭神・水若酢命は玉若酢命とともに、隠岐創設の神だとされ名前の由来にはいくつかの説があるそうです。一般的に広く知られているのが、大切な「水を沸かす⇒水若酢」という音から来ているというもの。その他にも水は“御”などと同じ接頭語として敬意を表し、川ごとに地域を分けていたのではないかということから「分ける州⇒若酢」と変化した説など、地元での伝承もいくつかあるそうです。書物が残っていないからこそ、その歴史と想いに余韻があっておもしろいなと感じました。教科書だけでは分からない様々な歴史や地域での伝承を聞けるのも、現地に訪れて観光ツアーでその地域を回る醍醐味ではないでしょうか。



水若酢神社への行き方

「水若酢神社」は島根半島からの船が着く西郷港から車で約20分、隠岐ジオパーク空港から約25分の場所にあります。「玉若酢命神社」がある西郷港や空港の反対側に位置し、島後の表と裏から島を守ったと言われているそうです。車移動の途中、山に囲まれた川や田んぼ、集落や家屋の様子など、隠岐ならではの景色を楽しめますよ。特に、田んぼは青々と実って秋に向けて少しずつ黄色に染まっている場所もあり、とてもきれいでした。秋には黄金色に輝く景色を見られるのではないでしょうか。

水若酢神社

島根県隠岐郡隠岐の島町郡723

08512-5-2123

駐車場あり、トイレあり

 

島後への行き方

隠岐諸島へは飛行機、フェリー、高速船で渡る方法があります。船は島根県本土の七類港(しちるいこう)と鳥取県本土の境港(さかいこう)の2ヶ所から出航しています。運航スケジュールや港までの交通面で検討すると良いでしょう。

最後に

神社の多い島後の中でも1番格式が高いとされる隠岐国一宮「水若酢神社(みずわかすじんじゃ)」についてご紹介しました。隠岐でしか見ることができない隠岐造の本殿や、今も守り続けられている島後ならではの古典相撲の文化など、ガイドの方や神職の方から説明を聞けたことで隠岐で大切にされている伝統や暮らしの精神なども感じることができました。西郷港や空港からは離れていますが、島後を訪れる際はぜひ「水若酢神社」も参拝してみてはいかがでしょうか。

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