島根
玉若酢命神社とは?隠岐独自の神を祀る島後の総社
島根県隠岐諸島のうち、島後(どうご)と呼ばれる隠岐の島町。島根県の神社と言えば出雲大社が有名ですが、隠岐諸島にもたくさんの由緒ある神社仏閣があることをご存知でしょうか。中でも島後にある「玉若酢命(たまわかすみこと・たまわかすのみこと)神社」は島後の総社であり、島後三大祭りの1つの御霊会風流(ごれえふりゅう)も行われる由緒正しき神社です。また、代々その社家を務める億岐家(おきけ)の宝物殿では、国指定の重要文化財を見学しながら隠岐の歴史と今の文化の繋がりについてもお話を伺いました。今回は、現地観光ツアーに参加して訪れた「玉若酢命神社」と「億岐家住宅・宝物殿」の見どころや行き方についてご紹介します。
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撮影:りとふる編集部
Contents
隠岐諸島と島後の神社について
島根半島沖に浮かぶ隠岐(おき)諸島は、4つの有人島と約180もの無人島の島々からなります。島後水道を境に京から見て奥に位置する隠岐の島町を島後(どうご)と呼びます。現存する日本最古の歴史書とされる古事記の国生み神話の中で、淡路島、四国に次いで隠岐国は3番目に生まれた島として隠伎之三子島(おきのみつごしま)と記載されているとても歴史深い島です。
隠岐諸島にはかつて300もの神社があったと言われていますが、今でも100近くの神社が残されています。今も神事などの文化を島民が中心になって行うなど、神社が地域に根付いている様子も見受けられます。
島根県の神社と言えば出雲大社が有名ですが、隠岐では出雲大社などの影響も取り入れつつ、隠岐独自の神を祀り、神社の建て方にも隠岐ならではの文化が残されています。
隠岐・島後の総社「玉若酢命神社」
隠岐国の総社として古代から信仰されている島後最古の神社「玉若酢命(たまわかすみこと・たまわかすのみこと)神社」。フェリーが着く西郷港から車で約5分の距離にあるので、島後観光の際はぜひ訪れたい神社です。
隠岐にはかつて300もの神社があり、それぞれを回るしきたりがありました。しかし、役人が300もの神社を回るのは大変だということで、隠岐国総社である「玉若酢命神社」を訪れたら300あるすべての神社を回ったことにするという便利な「総社」という制度ができたそうです。
「玉若酢命神社」の創建については記録がなく詳細が分かっていませんが、927年にまとめられた延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)という当時の神社の格付けリストのようなものには「式内社」として記載されていることから、当時からすでにその格式の高さを認められていた由緒正しき1000年以上の歴史がある神社だということが分かります。
龍の手水舎と茅葺屋根の随神門
「玉若酢命神社」の手水舎には、とても細かく作られた龍が飾られていました。参道の中央は神様が通る道だと言われています。神様から見て右側に右大臣、左側に左大臣が座られていますが右大臣の方が位が低いため、一般的に私たち参拝者は右大臣側を歩くと言われています。それに合わせて、手水舎も鳥居側から見て左側(右大臣側)に作られていることが多いそうですよ。
鳥居の先には国指定重要文化財である「随神門(ずいしんもん)」が目に入ります。茅葺屋根はめずらしいですよね。
格子状の部分には、右大臣と左大臣が通路を挟み左右で向かい合わせに座っているのが隠岐の特徴です。一般的には正面を向いていることが多いのですが、このような置き方は九州・筑紫地方で多く見られ、当時から遠く離れた九州とも交流があったのではないかと言われているそうです。
国指定天然記念物「八百杉」と伝説
随神門から進むと、幹が太くて思わず見上げてしまうほど高く伸びる国指定天然記念物の「八百杉(やおすぎ)」があります。樹齢2000年とも言われるだけあって、存在感がありました。こちらには全国を旅しながら植樹して歩く不老長寿の力を手に入れた比丘尼(びくに)と呼ばれる方の伝説が残されています。比丘尼が「玉若酢命神社」に杉の苗を植えた際に「800年経ったらまた来よう」と言ったことから、八百比丘尼(やおびくに)と呼ばれ、今ではこの杉のことを「八百杉(やおすぎ)」と呼ぶようになったそうです。
ちなみに、杉の木は大きく分けて太平洋側に分布するオモテスギ、日本海側に分布するウラスギ、九州に分布するヤクスギの3種類があります。それぞれの地形や気候に合わせて特徴が異なるそうですが、八百杉はオモテスギとウラスギの合わさった隠岐独自の成長をした杉であることがDNA鑑定で分かり、隠岐杉と呼ばれているそうです。これには氷河期に陸地で繋がっていた頃の影響などもあるようです。
また、八百杉の中にはヘビが棲んでいるなど、まことしやかに言い伝えられている話しもあるのだとか…。地元に伝わるそんなお話を聞けるのも、旅の醍醐味でおもしろい経験でした。
拝殿と隠岐独自の隠岐造をした本殿
八百杉から階段を上がると拝殿があります。「玉若酢命神社」にも、出雲神社を彷彿とさせるような大きなしめ縄が飾られています。
こちらで特に注目をして見てほしいのが、拝殿の奥にある本殿です。
隠岐造と言われる隠岐ならではの本殿の造りが大きな特徴です。隠岐の宮大工が全国の神社を見て回り、それらの良いところを集めて作られたと言われ、出雲大社などと同じ大社造の屋根、熱海神宮などと同じ神明造の横長の平面、春日大社などの春日造と似ている向拝など大きく3つの特徴があります。
最初に隠岐造について知っておくことで、その後巡る様々な神社でもその知識が活かされるのでおもしろいですよ。また、上部に飾られている千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)から、その神社には女神と男神のどちらが祀られているのかも分かり、「玉若酢命」は男神であることが分かります。私は歴史や神社などに詳しくはないのですが、ガイドさんから説明を聞きながら見るのはとてもおもしろかったです。
ちなみに、島根から帰る際に初めて気付いたのですが、島根県観光キャラクター「しまねっこ」にも千木と鰹木が付いていました。今まで何気なく見ていたものが、隠岐旅で知った情報で変わって見えるのもおもしろい体験ですよね。
本殿の横にある緑が茂っている部分には池があります。玉若酢命は隠岐開拓に関わる神だと考えられている隠岐独自の神です。隠岐一宮である「水若酢(みずわかす)神社」の主祭神・水若酢命(みずわかすのみこと)と兄弟神であると言われ、水に由縁のある場所が本殿の横にあるのではないかと言われています。
ちなみに、「玉若酢命神社」の拝殿に続く階段は坂道に近いほどとてもなだらかなのを不思議に感じる方もいるかもしれません。「玉若酢命神社」では毎年6月5日に島後中の神が集まると言われる島後三大祭りの1つ「御霊会風流(ごれえふりゅう)」という神事が行われます。その中で最大の見物とされる馬入れ神事では、島後の各地域から集まった8頭の神馬が神様を乗せて随神門から階段を通り駆け上がります。その際に神馬が通りやすいように、このようななだらかな階段にされているそうですよ。
全国唯一の品も残る億岐家住宅・宝物殿
「玉若酢命神社」の横には、国指定重要文化財でもあり代々神職を勤めている社家「億岐家住宅」が隣接しています。身分によって使い分けられていたと言われる3か所の入り口があり、茅葺屋根や建物内も独特な造りで隠岐独自の建築様式が残されています。
宝物殿では日本で唯一現存している「駅鈴」などの国指定重要文化財の展示を見学しながら、億岐家の方からお話を聞かせていただきました。重要文化財の歴史と聞くととても難しい内容のようにも感じますが、その歴史が今の駅伝や郵便になったと言われる理由など、今の生活に繋がる部分もあっておもしろかったですよ。
ちなみに、神社の入り口には「水木しげるロード」の延長プロジェクトによって作られた妖怪ブロンズ像もあるので、ぜひチェックしてみてくださいね。
玉若酢命神社への行き方
「玉若酢命神社」は島根半島からの船が着く西郷港から車で約5分、隠岐ジオパーク空港から約10分の場所にあります。島後の総社でありアクセスもしやすいため、ぜひ訪れてみてくださいね。
島後への行き方
隠岐諸島へは飛行機、フェリー、高速船で渡る方法があります。船は島根県本土の七類港(しちるいこう)と鳥取県本土の境港(さかいこう)の2ヶ所から出航しています。運航スケジュールや港までの交通面で検討すると良いでしょう。
最後に
島後の総社である「玉若酢命神社」についてご紹介しました。自分で回るだけでは分からない様々な歴史や地元の方々で伝承されているお話など、歴史や神社に興味がない方でも楽しめる場所なのではないかと感じました。「玉若酢」の名前の由来から古事記にも記された隠岐諸島や島後の地形に関連した「隠岐三ツ子の島」と言われる隠岐の国造りに関するお話まで興味深いものがたくさんあります。アクセスしやすい場所にありますが、ぜひ島後を訪れる際はツアーに参加することも検討してみてくださいね。