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福岡

志賀島で想いを馳せる万葉歌碑めぐりの旅♪

2019.04.02

志賀島で想いを馳せる万葉歌碑めぐりの旅♪

福岡県福岡市の博多湾北部に浮かぶ「志賀島(しかのしま)」。国宝「金印」が発見された地として日本史上でも有名な島で、万葉集では志賀島を歌ったものが16首もあり、たくさんの万葉歌碑が建てられています。そんな「志賀島」で歌人に想いを馳せながら万葉歌碑をめぐってみませんか?

志賀島の万葉歌碑をめぐろう!

志賀万葉歌碑の号数は、建てられた順番につけられているので、場所は点在しています。歌碑をめぐりやすいコースでご紹介します。

 

1号歌碑(志賀海神社境内)

「ちはやぶる 鐘の岬を 過ぎぬとも 我は忘れじ 志賀の皇神(すめがみ)」

歌意:航海の難所である鐘の岬を過ぎたとしても、わたしは海路の無事をお願いしたこの志賀の神様を忘れない。

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4号歌碑(潮見公園(志賀山頂))

画像提供:PIXTA

「志賀の浦に 漁する海人 明け来れば 浦廻漕ぐらし かじの音聞こゆ」

歌意:志賀の浦(博多湾)に、夜もすがら漁をする海人は、夜が明けてくると、浦の辺りを漕いで家路をたどるらしい。その梶の音が聞こえる。

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10号歌碑(休暇村海岸(沖津宮))

「志賀の海人は 藻刈(めか)り塩焼き いとまなみ 髪梳(あづり)の小櫛 取りも見なくに」

歌意:毎日激しい生業に携わって働き暮らす志賀の海人のなりふりを構う暇もない身の上を思いやった歌。

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5号歌碑(休暇村宿舎前)

「大船に 小船引きそへ かづくとも 志賀の荒雄に かづきあはめやも」

歌意:たとえ大小の船を出して大勢の人々が海中に潜ったとしても、志賀の海人の荒雄にめぐり会えるだろうか、おそらく会えないだろう。

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2号歌碑(志賀島国民休暇村西側)

画像提供:PIXTA

「志賀の山 いたくな伐りそ 荒雄らが よすがの山と 見つつ偲はむ」

歌意:志賀の山、その山の木をひどく伐ることをするな。我々は、今に還らぬ荒雄の縁故の山を見い見いして、彼を偲びたい。という意味と、荒雄が還ってくるとき、山の姿があまりに変わっていたら、彼はこれが恋しい志賀の山であろうかと戸惑うに違いない。だからひどく木を伐らないでほしい、の二通りの意味がある。

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6号歌碑(蒙古塚海岸)

「志賀のあまの 塩やく煙 風をいたみ 立ちは昇らず 山にたなびく」

歌意:志賀の海人の塩を焼く煙は、風が強いので、立ち昇らないで、山に棚引いている。

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9号歌碑(棚ヶ浜海岸(志賀小南西))

「沖つ鳥 鴨とふ船は 也良の崎 たみて漕ぎ来と 聞こえこぬかも」

歌意(内容説明):神亀(じんぎ、724~729年)の頃、太宰府から対馬に糧(かて)を送るよう命じられた宗像郡の津麿に代わった志賀の荒雄は、肥前の国の美祢良久(みねらく、福江島三井楽)から対馬に向かって船出したが、暴風雨にあって海没した。それから八年、荒雄の妻子はなおその生還を念じてこれらの歌を作ったという。また、一説では筑前の国守山上憶良(やまのうえのおくら)の作であるとも伝えられている。

歌詞の“鴨”というのは荒雄の船の名、”也良の崎”は能古の島の北端で、その辺りを漕いでくる荒雄生還の吉報を期待する家人(いえびと)の切ない心を詠んだ歌である。

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3号歌碑(国民宿舎「しかのしま苑」跡地海岸)

「志賀の白水朗(あま)の 釣りし燭せる いさり火乃 ほのかに妹を 見無よしもか裳」

歌意:志賀の海人が、釣をして灯している漁り火のように、ほのかにでも妻を見る手だてがほしいことよ。

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8号歌碑(志賀小学校内)

「志賀の浦に いざりする海人 家人の 待ちこふらむに 明しつる魚」

歌意:博多湾で漁をしている漁師は、家族がしきりに帰りを待っているであろうに、仕事とはいえ、夜通し魚を釣っていることよ。

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7号歌碑(志賀中学校庭)

「かしふ江に たづ鳴き渡る 志賀の浦に 沖つ白波 立ちしくらし毛」

歌意:鶴が香椎潟に鳴いて飛んでいく、志賀の浦では沖に白波が立って、幾重にも寄せているらしい。

アクセス

福岡市内から海の中道海浜公園を通り、車で約30分ほどの「志賀島」は、福岡市中心部(天神)から西鉄バスの路線バスも運行しています。ゆっくりマイペースに歌碑をめぐるのであれば、レンタカーがおすすめです。

最後に

いかがでしたでしょうか。「志賀島」は本土と陸続きになっているので、とてもアクセスしやすい島です。万葉歌碑をめぐりながら、ドライブに行ってみませんか?

 

 

#歴史巡り #周遊 #ドライブ #玄界灘

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